水槽との付き合い


水槽との付き合いはもう40年以上になる。

浮遊体アートの水槽を作り始めたのは15年ほど前のことだけれど、僕の水槽との付き合いは、もう40年以上になると思う。
僕が始めたというよりも、父が水槽マニアだったのだ。
うちの家は僕が幼稚園に上がる前に大阪の天神橋筋商店街から奈良市の学園前にある鶴舞団地に引っ越してきた。宅地開発がまだそれほど進んでいなかった頃で、父は僕を連れて近くの山の中の池に行っては釣ってきたフナを鶴舞団地のベランダに置いた水槽で飼い始めたのが、水槽との付き合いのきっかけだった。

奈良市の隣には金魚の生産で日本一の大和郡山市がある。
濁った色のフナやコイよりも色とりどりの金魚に魅せられた父は、僕を連れて毎週のように大和郡山市に通うようになった。
幼稚園のプールくらいある巨大なコンクリート製の養魚池をいくつもいくつと見て回り、厳選して買った金魚を大きなビニール袋に詰めてもらって帰る。
小さな団地のベランダには60センチ水槽が8台ほどあった。三段置けるようにした特注の鉄枠を金属加工をしていた祖父が作ってくれていた。
夏には金魚に混じって僕と妹がベランダでプール遊びをした。今から考えると大変な重量オーバーだったのではないだろうか。
よくベランダの底が抜けなかったものだと思う。

金魚の水槽は一週間もすれば藻が生えてくる。メンテナンスは浮遊体アート水槽と比べるとよっぽど大変だ。
学校から帰ると父に水槽の洗いを命じられるのが僕は嫌でならなかった。それなら勉強の方がよっぽどましだった。
生まれてくる金魚を色合いや背ビレや尾びれの色で選別したり、寄生虫のイカリムシをピンセットで抜いたりする作業は楽しかった。
父が仕事で海外出張すると、国際電話で一言だけ、水槽大丈夫か?とかかってきて、異常なしと答えると、すぐに切れる。一緒にいた外国人が、ミスター奥田は、ファミリーよりフィッシュが、大事なのかと呆れていた、父の会社の人が家に遊びに来た時にそんなことを言って笑っていた。

想芸館代表 奥田エイメイ