クラゲ屋さんになったきっかけ その2
制作スペースと工具の充実したこの水槽工場には僕以外にも様々な試作に来る人がいました。
生きたイカを安全に輸送するイカ用個別水槽システムを開発するイカ屋さんもその一人でした。
生きのいいイカは輸送トラック水槽の中で高速で泳ぎ、壁に激突して傷んでしまいます。このイカ屋さんは針でイカの眠りのツボを突いて生きたまま眠らせてしまう特殊な技能を持っていました。そして水質と温度を維持しながら眠ったイカを一体ずつ運ぶための個別水槽システムを繰り返し試作していました。
その水槽工場ではいつも3時にお茶を出してもらっていました。
イカ屋さーん、クラゲ屋さーん、お茶ですよー。
事務員さんがよく通る高い声で呼んでくれました。そんな風に呼ばれてお茶を飲んでいると、自分でクラゲ屋さんと名乗ってみるのもいいかもと思い始めたのです。
大阪南港のホテルで、クラゲとも何とも言えない少し変わった水中オブジェの作品展示をしたとき、水槽工場の社長が展示を見に来てくれました。
「あんたこんな変てこなもの作っていても食っていけんだろう。世の中にはクラゲを見て癒されたい人がたくさんいるんだからよ。妙なもの作ってないでホンモノによく似た立派なクラゲを作ればいいの」
なぜクラゲを作るのですかと人から聞かれたとき、僕はずっとうまく答えることができずにいました。
子供の頃によく海へ連れて行ってもらって。父親が水槽マニアでしたので。大阪万博のスイス館の灯りが池に映っていたのを思い出して。ふわふわ浮かび上がることが素敵だから。薄い膜が好きだから。透き通ったモノに心惹かれて。そのときどきで流れるままに様々な答えを返しているうちに、言葉にしてみた答えのひとつひとつが枝や葉をつけて思いもしない新たな記憶を生み出していきます。それは自分が時間をさかのぼり生まれ変わっていくような新しい経験でした。
商業施設に納める癒しの人工クラゲをつくる仕事の傍らで、どう名付けてよいかわからない妙な変種やモノを作らずにはいられませんでした。これらを展示できそうな場所を探して私はあちこち歩き回ってきました。ギャラリー、ホテル、レストラン、工場、廃墟。私の奇妙な制作物にとって、ここが生まれてきた故郷だ、育つべき場所なのだと確信できる空間を探して、これからもさまよい続けるような気がしています。
想芸館代表 奥田エイメイ
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